バイク好きのあなたの“道しるべ”
なかむー挨拶
GREETING
はじめまして。
「バイク屋なかむー」です
現役サラリーマンとして働きながら、1999年の学生時代からバイクに関わるインターネットビジネスを独学で続けてきました。
幼少期からの「バイクが好き」という気持ちだけで、収入源を増やす方法を模索し20年以上も続けてきました。
気づけば20年以上、試行錯誤と実践を重ねてきた結果、
今では、会社員を続けながらでも、複数の副業・投資・資産形成を実現できるようになりました。
そして今。
同じように悩むバイク好きな仲間たちとともに、
“好き”を活かして“経済的な自由”を得る方法を発信するために、【バイク屋なかむー】を立ち上げました。
バイク屋なかむー
代表 なかむー

なかむーの経歴
COMPANY PROFILE

えっ!?バイクが好きってだけで、副業になるの!?
社名 | バイク屋なかむー |
代表 | なかむー |
開始年 | 1999年(学生時代にインターネット物販を開始) |
内容 |
|
得意分野 | バイク転売、フードデリバリー運用、NISA・不動産投資、LINE構築、AI活用、YouTube戦略設計 |
歩み
HISTORY
厳しさと挑戦のなかで育った少年時代
僕は、父も叔父も経営者という家庭に生まれた。
一見すると裕福そうに思われるけど、実際は「昭和の空気が色濃く残る、厳しすぎる家庭」だった。
父と母は、口より先に手が出る人たちだった。
何かあるたびに全身で“愛のムチ”を受け止めた。
それが正しいとか間違っているとかじゃない。
ただ、事実として、僕はその中で「強さ」「我慢」「優しさ」を学んだ。
そして何よりも、「一度決めたらやり抜く」という鋼の心を、あの時期に育てられた。
物心つく頃から、毎日のようにサプリメントを飲んでいた。
今でこそコンビニで当たり前に売られているけど、当時は珍しかった。
食事は基本、家で。外食はほとんどしなかった。
だから“お金持ち”だなんて思ったことは一度もなかった。
けれど、**「習い事は、途中で投げ出さなければいくつでもOK」**という家のルールがあった。
そのおかげで、スイミング、少年野球、剣道、書道、天体観測、学習塾……
あらゆる世界に触れさせてもらった。
振り返れば、このときの経験が、いまの「なんでもまずやってみる精神」につながっているのだと思う。
父親経営の和食屋で皿洗いのアルバイト:日給500円
小学生の頃、父が営む和食屋で皿洗いを手伝い、日給500円をもらっていた。
大量の皿を黙々と洗い続ける作業の中で、初めて「誰かの役に立つこと=お金をいただく」という体験をする。
500円という金額以上に、「感謝されること」「求められること」「対価としてお金をいただくこと」の嬉しさが心に残った。
のちにバイクパーツを販売した時も、“この感覚”がすぐに蘇った。
この経験が、「価値提供型の副業マインド」の原点になっている。
【限界を超えた4年間】大学時代、“走り続けた”日々の記憶
大学に入ってすぐ、僕は決めた。
「この4年間を、ただ過ごすだけにはしない」と。
授業には真面目に出席し、部活動にも全力投球。
後輩は20人以上。
さらに、自分の未来を見据えて、大原専門学校にもダブルスクールで通い始めた。
当然、時間はパンパン。
それでも、生活費は自分で稼ぐと決めていた。
選んだのは、夜勤のバイト。
居酒屋、キャバクラのホール、そして夜の世界で働くお嬢様たちの送迎。
朝5時にバイトが終われば、そのまま大学の部室へ。
事前に窓を開けておいた2階のソファに忍び込み、仮眠をとる。そして9時には講義へ向かう。
お金が足らずに、重量飛びで契約社員としても働く。
ニッカポッカに足袋と安全帯、日勤の後に、60分休憩で夜勤もこなす。
──そんな“止まらない日々”を繰り返していた。
でも、働いても働いても、お金は足りない。
そんな中で出会ったのが「家庭教師の営業バイト」だった。
完全出来高制。売れなければ0円。まさに、勝負の世界。
面接で求められたのは、60分間の営業トークを一言一句違えずに暗記すること。
数千文字の“営業台本”を、1週間で叩き込んだ。
試験当日、緊張の中で口からスラスラと言葉があふれ出た。
──そして、合格。
そのベンチャーは、東大・一橋・慶應の学生が集まるサークル型企業だった。
会話に出てくるマインド・思考・数字感覚──
すべてが新鮮で、僕はその空気を全身で吸収していった。
ある日、尊敬する先輩がこう言った。
「これ、人生のバイブルになるから絶対に読んでおいたほうがいい」
手渡されたのは、ロバート・キヨサキの名著『金持ち父さん貧乏父さん』。
この一冊との出会いが、
“稼ぐ”から“資産を作る”という意識への転換点となった。
今、振り返って思う。
あの寝不足と努力の先にあった一冊が、
「バイク屋なかむー」という人生を走り出させた最初のアクセルフルスロットルだったのかもしれない。
ロバートキヨサキ「金持ち父さん貧乏父さん」の半分を読んで、すぐに行動
大学生の頃、人生観が変わる一冊「金持ち父さん貧乏父さん」と出会い、
“資産”と“収入の柱”の大切さを知る。
その晩、読みかけのまま衝動的に「何かを始めなきゃ」と思い、ヤフオクにバイク部品を出品したのがすべての始まり。
完全クローズのコンサル開始
本業と並行しながら、信頼のある数名限定で“完全非公開”の副業指導を実施。
口コミのみで継続者が増え、「再現性ある副業ノウハウ」として独自の実践型指導スタイルが形成された。
この経験が後の「バイク屋なかむー」構想の土台に。
家庭の事情でバイクパーツ転売を完全無期限停止し、サラリーマン専業
家族の事情により副業を一切に休止。
本業に集中することで、改めて“時間の制約”と“収入の限界”を実感。
「再起したら、より多くの人に届けたい」という思いを強く抱くように。
バイク屋は完全休業して、サラリーマンに全振りした結果、過労死レベルの社畜社員となる。
給与は上がれど、資産は増えずに、家計は赤字で火の車!!
ワンルーム投資のベンチャー不動産会社のIPOに準備に携わる
西新宿タワーマンションの40階、全面ガラス張りの絶景オフィス。
その景観とは裏腹に、IPO準備の最前線で戦った日々。
管理本部のNo.2として、経験の浅い女性スタッフ9名を束ねながら、すべての業務を一手に引き受ける。
結果、会社に6泊7日し、睡眠時間3時間。
デスクの裏に段ボールを敷き、多目的トイレで身体を洗いながら、眠気と孤独に耐えた。
しかしその中で、不動産投資を法人側の視点で体系的に学び、売買のロジックや戦略を吸収。
すべてを“なかむー流”にブラッシュアップし、副業家としての財産に変えていった。
老舗の専門商社の崩壊部署の現場責任者として奮闘
マネジメントが機能しない老舗の崩壊部署。
そこに単身乗り込み、現場責任者として数百億円規模の単体決算と、10社を超える国内外連結決算を引き継ぎもなく担当。
前任者は逃げ、社内は混乱。
部署だけでなく他部署及び社外の数多くの方々のサポートのおかげで、それでも立て直し、全社決算をやりきることで任務を成し遂げる。
この経験が、のちのRider Schoool JAPAN の「再現性のあるマニュアルと自走する仕組化」に直結していく。
【Rider School Japan 本格開校】バイク好きだけに贈る、夢と自由の再始動
バイク屋を無期限休業したまま、日々をこなすだけのサラリーマン時代。
ある日、とある社長宅に招かれ「夢はあるか?」と問われたとき、何一つ語れなかった。
でも、「バイクが好き」とだけは言えた。
家庭の事情で6年間、自分の想いを封じ込めていたなかむー。
だが、“叶わない夢はない”“始めるのに遅すぎることはない””熱中できる好きなことやりなさい”をという言葉が、過去にお世話になった偉大な方々の言葉と重なり、心を揺さぶった。
ずっと連絡もできずに不義理をしている。
恩返しのために、その方々から得た学びによる成長の証を結果で体現するため、いまこそ自分の全てを解放する。
積み重ねてきた経験・失敗・知識をすべて体系化し、「バイク好きだけに届く」新たな教育事業として本格始動へ。
🎓【再現性×情熱】なかむーは前線には立たない、ブレインとして全体を設計する
なかむーは、自らが前に出て「教える」ことはしない。
あくまでブレインとして、仕組み・戦略・仕掛けを構築する役目に徹する。
これらのHPと診断ツール、公式LINE、Youtube、SNS、スクール運営もなかむーは指示しかしない。
(すべて組織化し、優秀な外注や外部委託により運営)
なぜなら、「仕組み化」は誰よりも得意で、過去の挫折も成功もその中に活かされているから。
「Rider School Japan」本格開校。
バイク好きにしか再現できない、副業・投資・節税・自由設計のノウハウを“教育”というカタチで提供することを決意。
両親からの教育、今までの多くのメンターとの出会いと生きた学び、バイク屋は常に好調であったが教えを聞かずにした多くの失敗、その都度で立ち上がったことが、なかむーのすべての原点になる。